先日、9月と10月の2回にわたって阪急交通社の四国八十八カ所参拝に出かけてきた関係かもしれないけれども、3回目の四国八十八カ所巡りの案内が来た。
 過去2回の四国八十八カ所巡りはバスによる日帰りツアーで、親戚の人と2回続けて参加したけれども、 3回目以降は泊コースになるということもあって当初から3回目以降についての申し込みは考えていなかった。
 ということで、 、四国八十八カ所巡りについてすこし書いてみる。
 八十八カ所巡りはこれまでも関心はあり、いずれかの機会に回ってみたいなという気持ちがあった。 3年ほど前四国の小豆島に行った時に立ち寄った高松の屋島寺や、瀬戸大橋のパーキングエリアで八十八箇所巡り参拝者の白衣に出会たりしたことから1度は回ってみたい所であった。

 参拝にはいろいろ作法もあるらしことは本にも書いてあったため、初めて参加するときにはどのような段取りになるのか、気にはなっていたが、先達さんと言われる人から一通り説明があった。そして参拝に必要なお経とか真言を唱える練習についてもバスの中で、四国に着くまでの間に講習を受けたのである。

 昼過ぎ、参拝のお寺につく。最初の作法として、山門で脱帽し礼をして中に入る。帽子はその後建物の中に入らない限りはかぶっていてもいいとのこと。手を清めてから本堂へと進む。
 参拝にあたっては、線香3本とローソクに火を灯し、納め札に自分の住所氏名及び参拝の日を書き、裏側に自分の願い事を書いてそれを納箱に入れ賽銭を投じる。
 この単純な行為ではあるけれども、実際にその場で立ち会ってみると思ったよりも手間がかかるということに気がついた。まずローソク立てにローソクを立てるわけだけれども、その前にライターで火をつけるという行為がある。すでに灯っているローソクから火をもらうというのはこれはご法度ということで、自ら自分のライターで火をつけなければいけないという教えである。
 ローソクがたくさん立っていると、手前のほうのローソクの火が邪魔になってなかなか適当なところに自分のローソクを立てることができない。先達さんは出来るだけ奥の方から順番にローソクを立てるようにというお話があったけれども、すでに手前にローソクがあると、なかなか思うようにはいかずこれが結構大変なことであった。続いて線香も3本にして火をつけるのだけれどもこれもまた風がちょっとあるとライターの火がなかなかつかない。自分の立てる場所がなくて手前のほうに立てたりすると、先達さんからなるべく中央部よりに立てて次の人の邪魔にならないようにしてくださいというような話があった。
 なお、ローソク、線香、ライターこれをきちっとまとめてカバンの中に入れておかないと、いざ現場に来てカバンの中を探しまくると、手間がかるうえローソクは良いいいとしても線香はちょっと変な力を加えると折れてしまったりしてこれが難儀であった。
 それが終わると、本堂の横にグループ全体が固まってお経真言を唱えるのである。このときグループ全体が本堂の前を取り囲むようなことをすると、別の参拝者の通行の邪魔になるということで先達さんはなるべく本堂の中心部は開け、邪魔にならない場所に立つようにという指示があった。さていよいよこれよりお経を読むということになる
 開経偈・懺悔文・三帰などと続き般若心経を唱える。次に寺の本尊真言を唱え光明真言と続き終わるのであるが、この間教本を手に先達さんの後を継いでお経を上げていくという段取りなるのであった。すでに何回か参加してる人はある程度この真言にしてもうお経にしても暗唱できる人もいるけれど、初めての参加の人はそのお経本を手にわけのわからないまま終わってしまうというのが現実の状況であった。
15分ほどでまず本堂の参拝が終わるとそれから、すぐ近くに大師堂というところがあり、そこで全く同じローソク・線香立て納め札を入れ賽銭を上げて参拝した後、お経と真言を唱えるというのを繰り返すのである。これで順調に入って約30分。 参拝した後そのまますぐまたバスに戻って次のお寺に赴くというのがこのツアー方式によるあり方である。
 私は1回目の時には全く何も用意していたなかったけれども、白衣や輪袈裟などすでにあらかじめ準備して持っている人が半分くらいはおり、やっぱりこういった用具を持って参拝するということは、それなりに気持ちの上でも大切なことかなという風に思い、最初の参拝寺で納経帳を購入したけれど、2寺目で輪袈裟と、輪袈裟どめを購入、2回目の時に白衣を購入して一応形だけは最小限整った状態である。
 ということで1回目2回目合わせて一番から8番までのお寺を参拝してきたのである。そして9番目以降からは1泊以上で、何回かに分かれていく旅行が設定されていたけれども、私は参加は一旦ここで打ち切りとなったのである。
 旅行会社が設定する八十八箇所巡りは確かに極めて効率的であり時間もスムーズ、値段も安いメリットはたくさんあることは事実である。ただ私にとって割り切れない部分としては、お寺からお寺までの間をただバスで移動するだけで、四国であろうが、近くのお寺であろうと同じではないかというような印象を受けたのである。やはり四国というこの地に来て八十八箇所巡りをするには、地域に何らかの形で触れ合う形で訪れ、そしてお寺をめぐるというのが大切なのではないかと思うのである。
 名古屋駅のバスターミナルでバスに乗って、降りたところが八十八カ所のお寺の山門の前、そしてお寺の山門を外に出て、また降りたところが名古屋のバスターミナル、というようなこの行程では本当に四国でお参りをしてきたというその実感がもひとつ伴わないのである。
 いずれかには車かあるいは公共交通機関かは別として、参拝計画を決めて出かけて行ってみたいなと言う風に思っている。