キリコ考察


 能登旅行から帰った後、どんなコースを辿ったかと旅行案内書を見ていてちょっと気になることが出てきた。キリコのことである。

キリコ会館で受け取った観覧券の裏面に次のように記されている。


 少し長いけれど全文を記載してみる。
能登地方の夏秋の祭礼にはキリコと呼ばれる巨大な御神灯が担ぎ出され、祭りの夜を彩ります。
その役割は主に神輿渡御の夜道の灯りとして神輿の前衛後衛のお供をすることです。
キリコとは切子燈籠のことで、ところによっては奉灯や御明かしとも呼ばれます。
もとは笹に御神灯を付けて持ち歩くことができる笹キリコという小さなものでしたが、やがて木製と
なり、漆塗りや金箔が施され、彫刻まで競い合うようになっていきます。
江戸時代中期以降になると高さ10?をこえる大型で豪華なキリコが現れるようになりました。
明治の中頃、輪島ではそのような大きいキリコが数10本も神輿に伴っていたといいます。
しかし、電線が張られるようになってからは4〜6?ほどのやや小型のキリコが主流となりました。



 ところが私の家にあった少し前の旅行案内書(1970年版)を見ていると、キリコという名称が使われていないのだ。

 
 奉灯祭については次のように記載されている。

能登の奇祭の一つ。和倉駅に近い石崎八幡神社に、豊漁を祈って奉灯する祭。毎年旧の六月十五日各区から高さ約一四米の大奉灯六基、一基に花笠をのせた友禅模様の振袖姿の若者達が約一〇〇人、独特の囃しにつれて練り歩く。最後に神前で一列に並んでいっせいに火をつける。
小学生の手で同型の小さい奉灯も練り歩き、二〜三万の人出で賑わう。



 輪島の年中行事の項目には次のように記されている

 曳山祭
 四月四〜五日市内の河井、鳳至両町で行われ、輪島塗りに金銀の金具をちりばめた
 山車を曳き廻す。

やっぱりキリコという名称は出てこない。

 三夜踊 
 八月十四〜十六日市内河井町の重蔵神社境内で「三夜ぶし」、「まだらぶし」などが踊られる。 
 ここも出てこない。

 そして最後にこんな記載がされていた。

 大まつり 
 八月二十三〜二十五日 市内の重蔵神社、住吉神社、輪島神社を中心に輪島塗のキ
 リコに灯を点じ夜通し町内を練り歩く。

 ここでやっとキリコという名称が現れたのである。


 この一回以外、全くキリコと言う名称はこの旅行案内書には出てこないのであった。


 「キリコ祭りは能登地方の住民にとって最も重要な祭り」とネットにも記載されているけれど、「キリコ祭り」と呼ばれるようになったのは、ごく最近なのかもしれないと私は思ったのでした。