今から約20年ほど前、近鉄沿線の写真風景を撮った本が発売された。
その本に桑名の大正寺の紅葉の景色が1枚収められたページがあった。
大正寺は、かって近鉄養老線(今は養老鉄道播磨駅から歩いてわずかなところで、通勤コースのすぐ途中にある。紅葉シーズンになるとこの大正寺の紅葉の写真を撮りに行ったものである。
 今年も11月末、紅葉もそろそろ見頃を迎えたため、カメラを手に出かけたのであった。

 この寺には桑名藩歴史の謎が残っているのである。本にもこのことが触れられている。

大正寺山門にある教育委員会の説明板内容

 野村増右衛門吉正は島田に生まれ、郡代の手代という軽い身分から、次第に重用された。河川改修工事や新田の開発など多大な功績をあげたが、宝永7年(1710)に、藩の公金を盗用した罪に問われ死罪となった。この時、一族44人が死刑となり、関係者も追放されたり免職されたりし、罪人の数は370人以上に及んだと云われる。この事件により藩主松平定重は越後高田に国替えを命ぜられた。わずかな罪により多くの罪人を出したところから事件そのものが謎とされている。文政6年(1823)に、定重の子孫、定永が再び桑名へ国替えとなると増右衛門の罪は許され、供養塔が建てられた。



 インターネット上である程度この事件を探索することはできるけれども、同じような内容で真相は闇の中に埋もれている。供養塔はここ大正寺にあるけれども、墓や位牌などがまた別のお寺にあったり、他の寺に移されたりと事情は複雑である。機会があればもっと調べてみたいと思う。




ひっそりとした境内ではあるけれど、墓の立っているところは掃き清められていた。
ただ風のたびに紅葉が舞い落ちてくる。ここの紅葉は何かしら一段と赤く染まるような気がする。