古稀




 今朝グーグルを立ち上げたらよく見れば私の誕生日。

 昔は数えで、この頃は満年齢で決めるらしいけれど
私も古稀を迎えてしまった。


 実は今回の山行きは一つの転機を迎えてしまったのだ。



 今年の夏山登山は当初予想していた通り自分の体力的、精神的な不安ががそのまま現れてしまった。

 もちろん山に行けば体力がバテてきてしんどい思いをするというのは昔からであったけれども、その疲労度も頂上まで到着すればしばらく休憩することによって回復し、頂上でワインで乾杯をするなどということもごく普通の事であった。

 数年くらい前から頂上でビールやワインを飲む回数も減ってきた。これは重たいワインなどを持って行かないことにしているからだ。

 この頃はなるべく重量負担の少ない焼酎を持って登っているけれども、今回は頂上でその焼酎を飲もうという気すら起きなかったのである。

 登るために体力の大半を消費してしまい、しばらく頂上で休んでいても体力の回復は見込めず、まだこれから歩かなければならないというストレスが、飲もうなどという気分にはとてもなれないというのが実態であった。

 体力バテに合わせて困ったことにはこの頃、登山中に喉の渇きを覚えることが非常に強くなってきていることだ。飲料水については余分に持ってゆくことにしているのだけれど、喉の渇きがいったん襲ってくるといくら水を補給しても渇きは収まらないという状態になってくることであった。

 ひどく喉が渇く原因はよくわからないけれども、数年くらい前から一度乾きが襲ってきたときにはもう対応のしようがない。極端なことを言えば水を飲んでもたちまち喉が乾干からびたような状態になってまともに言葉を発することが出来なくなるほどカラカラになってしまうのである。

 ペットボトルなどあっという間になくなってしまう。もちろん予備としてもう1本用意しているけれど、2本目を飲み始めるとその後の水の減り方が気になって気が気でない。コースの途中に水場のない山はもう登る気力がない。

 もうひとつ困ったことが起きている。上りはまだなんとか持ちこたえているのだけれど、下りに入ると太ももの筋肉がひどく痛くなるのである。一応ストックなどを持って多少なりとも衝撃を緩和しているとはいえ、下りが続くと痛みは増す一方になってしまう。

 こうなると周りの景色を楽しむ余裕は全くなくなて、ただひたすら終点に到着すること以外何も考えられなくなってしまう。

 最近山での写真が少なくなっているのもこういったことが大きく影響している。


 この調子ではもう夏山縦走はそろそろ見納めしなければならない気分になってきているのである。